〔 2017年7月号(2017年7月9日発行)・詩「高原便り」 〕

碧い風 目次



  
 高原便り

 小さな光の
 またたきに似て咲く花もあれば
 大きな光の
 かがやきに似て咲く花もあって

 思い出してください
 花々の形を
 それらはみな
 きっと
 放たれて輝く光の形―

 あざみの花も
 マーガレットも
 それぞれに
 放たれて輝く光の形に
 咲いています

 光にならって
 虫たちを集めているうちに
 形さえも光に似せて
 花々は
 虫たちを集めようとしているのでしょうか       

 気がつけば―
 どの花もみな光の隠喩





 偶然でしょうか
 タンポポの花が
 春の日のあかるい太陽のかがやきに似ているのは    
 ヒマワリの花が
 夏の日のはげしい太陽のかがやきに似ているのは
 コスモスの花が
 秋の日のすずしい太陽のかがやきに似ているのは
 そうして

 高原のあわい光の中に咲く花たちは
 高原のあわい光によく似ています
 だから
 私はこの高原に咲く花々を描いたスケッチを
 あなたのもとに送ります
 決して上手ではないけれども
 この高原のあわい光とすずしい風が
 どうぞ
 あなたのもとにも届きますように


      (久野雅幸 詩集『旋回』所収 一部改) 
  
 
  
  

〔イラスト:東海林 風夏(ふうか)さん 高校2年〕


〔作者からひとこと〕
夏は、高原を訪れる方も多い時節。この詩から、夏らしさを感じたり高原のようすを想像したりしてただければ、幸いです。イラストの少女が泣いているのは、この詩から、何らかの「物語」を想像してくれたのでしょうか。だとすれば、それもまた、詩の作者にとってうれしいことです。

〔作者からもうひとこと〕
 「どの花もみな光の隠喩」というのは、私にとっては大きな“気づき”でした。その“気づき”がこの詩の中心と言ってよいと思います。
 イラストの少女が泣いているのは、その“気づき”を得た感動が詩の全体に広がっていると感じたためであると、後日、イラストの制作者から聞きました。詩の中心を的確にとらえてくれたと思います。