久野雅幸のページ
                
詩を書くということ


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       日本の現代詩における山形の位置
            ー「現代詩」の成果の紹介としてー

  東京駅に降り立ち、大勢の人々があわただしい速度で動き回る中に身を置きながら、思う。こういう状況の中にいるときと、駅から自宅まで二キロ程度の距離を歩きながらその途中道ですれ違う人はほとんどいないといった状況の中にいるときとでは、「自分」や「人間」に対する感じ方やとらえ方が変わってしまうのではないだろうか、と。そして、思う。こういう、一人ひとりの人間のかけがえのなさのようなものがともすれば感じられなくなってしまうような状況の中で暮らしているとき、はたして自分は、いま書いているような詩を書くことができるのだろうか、また、いま自分が書いているような詩は、はたして、こういう状況の中で暮らしている人たちを読者にすることができるような「力」をもっているのだろうか、と。
 客観的に書くべきテーマを与えられていながら、いきなり個人的な思いを述べることから始めたのは、次のようなことを考えるからである。
  ―東京で暮らしている人間をも、山形で暮らしている人間をも、等しくひきつけ、読者とすることができるような詩でなければ、「日本の現代詩」の中に位置づけを得ることはできない。
  ここで、「読者とすることができるような」とは、現象として実際に大勢の読者をもつということを必ずしも必要としない。それは、「それだけの力をもった」という、詩としての力、言葉としての力の表現である。「現象」で測るのでなければ、いったいどのようにしてその「力」を測るのか、という疑問が浮かぶはずである。それこそが、批評の役割であろう。時間とお金をかけて読むのに値するだけの「力」をもった詩を見出し、紹介すること。そのことをしないで、批評はいったい何をするのか。
  「いま現在」作られている詩、あるいは「太平洋戦争の終戦以後」に書かれた詩であれば、おしなべて、「日本の現代詩」のうちに何らかの位置づけを得るのではないか、という声も聞こえてきそうである。それは、「現代詩」をどうとらえるか、による。「現代詩」を「現代の詩」と同義にとらえるならば、そのとおりであろう。しかし、この文章では、あえて、そういうとらえ方をしない。「現代詩」を、「時代の状況の中を生きるわたしたちの詩」ととらえておきたい。「現代の詩」と違うのは、「時代の状況の中をわたしたちが生きていくうえで、価値ある―生きることを支えたり、生きることに価値を見出させたり、生きることのある面に気づかせたりする―言葉として、しかも、何らかの新しさをもった言葉として、その言葉を共有することができる」という価値判断が加わっていることである。
 一方、このようなとらえ方をすることには、「現代詩」を、「現代の状況(現代における人間の状況をも含めて)を表現した詩」、あるいは「現代の状況への自己のかかわり方を表現した詩」とするとらえ方への批判を込めている。すなわち、表現すべき「現代」がまずあって、その状況なり、状況へのかかわり方なりを表現するのが「現代詩」であるとするとらえ方への批判である。「主人持ちの文学」と言えば、かつて志賀直哉がプロレタリア文学を批判した言葉として有名であるが、このような「現代詩」のとらえ方には、同じ言葉が向けられるだろう。「時代」であれ、「思想」であれ、あるいは「詩」(詩とはこういうものであるという、何となくというレベルをも含めた、決めつけ)であれ、とにかく詩は、従うべき「主人」を持たない方がよい。持てば、多くの場合、詩はつまらないものとなり、詩作という行為も創造と言うにはあまりにも窮屈で、発展性のないものとなる。詩は、見出されたものであるべきだ、と思う。さらに言えば、時代の状況を、いわば「受け身的な態度で」受け入れ、表現した言葉が、時代の状況を変える力や時代の状況の中で生きることを支える力をもった言葉となり得るだろうか。ここで「時代の状況の中を生きるわたしたちの詩」というとらえ方をするのは、「現代詩」の中心に、「現代」という時代の状況を置くのではなく、「生きる」というわたしたちの営みを置きたいからである。評価は、現代の状況がいかにとらえられ、表現されているかということではなく、生きるということがどのようにとらえられ、表現されているか、という視点で行われることになる。

  さて、山形では、「日本の現代詩」の中に位置づけられる詩として、どのような詩が書かれているだろうか。

  最初に取り上げたいのは、万里小路譲氏(鶴岡市在住)が、スヌーピーやチャーリー・ブラウンが活躍するチャールズ・シュルツ作の『ピーナッツ』に取材して作り上げている、一連の作品である。万里小路氏が発行する一枚誌『てん』で読むことができ、また、幾つかの作品は、詩の商業誌『詩の雑誌midnight press』(ミッドナイト・プレス)に掲載され、松下育男氏によって高く評価されている。次に、一篇を紹介する。


   回想 ―フランクリンの    
                    
 かつてあったことは
 もうここにないこと
 思い出がなければ
 人生は味気ないもの?

 「かつて三つの素敵な
  思い出があったんだ……
  でもどんな思い出だったか
  忘れてしまった」

 いいんだよ
 フランクリン
 そうして思い出そうと
 しているだけで

 見ててごらん
 流れゆく
 雲 鳥 風 葉 涙……
 見てた?
 *第二連はチャールズ・シュルツ作『ピーナッツ』より  
      (一枚誌『てん』第38号による)
    
  氏には、すでに、マーラーの音楽や中島みゆきの歌などを聴いて得られたインスピレーションをもとに四行詩を作り、『四行詩集 交響譜』(文芸社、1999年)をまとめたという「本歌取り」の経験があるのだが、そうした「本歌取り」の才が、氏に独特の人生についての思索や、これもまた氏に特徴的な、筋(すじ)・できごとを語ることを必要としない、詩的で簡潔な表現―氏には『風あるいは空に』(印象社、1995年)という九十二篇の三行詩を収めた詩集もある―と結びついて(加えて言えば、高校の英語の教員である氏の英語力とも結びついて)、詩が作り上げられている。このような、やさしい語りかけの「語り口」(文体)で、読む者を人生についての前向きで、受容的な思いに導くような詩は、これまでの「日本の現代詩」にあっただろうか。「いいんだよ」という、カウンセリング的な対応において相談者の自己受容を図るときのキーワードにもなっている言葉は、この詩、ひいては『ピーナッツ』に取材した一連の詩の、生きることに対する受容的な態度を、端的、象徴的に表している。詩の新しさが測られるのは、内容や、材料においてよりも、むしろ「語り口」においてであろうと筆者は思っており、H氏賞を受賞するような詩集の詩は、それぞれに新しい「語り口」をもっていると見ているのだが、万里小路氏も、『ピーナッツ』の登場人物に語りかけるという形をとりながら、新しい「語り口」をもった詩を作っている。 一連の詩は、東京で暮らしているか、山形で暮らしているかの別なく、読む者を、生きることの受容へと、やさしく導く。
 次に取り上げたいのは、伊藤啓子氏(山形市在住)の近年の作品である。以前から「毒のある」と形容される独自の世界を表現してきた人であるが、個人通信『萌』(2002年~)の刊行を始めたあたりから、「毒」の盛り方、仕込み方が巧妙になって、表面的などぎつさがなくなった分、リアリティが増した。詩的表現の洗練の度合いも増して、言葉による芸術作品としての完成度が高まった(「詩的表現の洗練の度合い」とか「言葉による芸術作品としての完成度」といった視点が詩を評価する視点として軽視される傾向が続いているが、筆者はもっと重要視すべきであると思う。へたくそなピアノの演奏など、だれが聴きたいと思うだろうか)。特に着目されるのは、「異界」がさりげなく「日常」の世界に侵入して、「日常」の感覚を維持したままで「異界」に足を踏み入れてしまったような感覚を覚えさせる、一連の作品である。次に、一篇を紹介する。

   
   午後の手紙    
                      
 あのひと さっきまでいたのに
 午睡のあとの 朝と夕の区別がつかぬような
 白っぽい空気の中に
 顔?
 それが見なかったのです
 気づいたら ユズリハの傍らに立っていて
 わたしは知らないふりして
 少し早すぎる夕食の支度に
 フキノトウを摘んだりしていました
 あのひとは夜になってからはやって来ない
 なんとなくわかります
 ああいうひとは昼間のひとなのです
 遠くからやってきたのでしょうか
 どの道を通って帰っていったのでしょうか
 光の向こうは
 目を凝らしても見えません
 しびれが指先から引いていくようでした
 気配しか残っていないのに
 目があったような気がしました
 なぜだか濃い汗をかいてしまい
 長い春風邪をひいたのはそれからでした 
         (個人通信『萌』第15号による)
    

  ここには、伊藤氏によって新たに見出された世界がある。その世界が、無駄のない、洗練された詩的表現によって、リアリティが確保されながら、みごとに表現されている。こういうことは、めったにない出来事である。一連の詩は、「異界」の広がりにそのままつながっているような「日常」の“ゆらぎ”や“奥行き”を実感させる作品として、「日本の現代詩」の中に位置づけられるべきものだ、と考える。
  最後になるが、大場義宏氏(山形市在住)の詩を取り上げたい。筆者が、ここで大場氏の詩に言及しようと思ったのは、次の詩を読んだからである。


   その後も朝は
     
                      
 もしかするとあのひとは
 朝なのではないだろうか
 あのひとはなにもしないのに
 いてくれるだけなのに
 ああぼくはこんなにも清々しい―

 ぼくもなにもしないのに
 朝はとてもうれしそうで
 庭には薔薇まで開(さ)いている

 なにもしないというのは
 この地続きの一角で、いまも
 だれかが殺戮されている
 ということなのだ

 もしかするとあのひとは
 ぼくを洗濯し
 干すことができるのではないか
 ぼくは気に入った汚れまでも
 手放して、五月、朝涼のなかに
 広げられているのではないか

 




 ぼくはドライフラワーのように
 つまり、死んだ後も
 青を手放さないのを
 あのひとは
 赦してくれるのではないか
 そうその後も
 なにがなし青いという仕方で……

       (『山形詩人』第54号による)  

 
 
     

  第二連までを読んで想起される、透明な、朝の空間の広がりに、突如、第三連の先鋭な世界認識が挿入されて、はっとさせられる。第四連の諧謔は、第一連・第二連の清澄さの、いわば裏返しとなっており、その諧謔的な発想は最終連の切なさを感じさせる表現につながって帰結する。「あのひと」と「朝」が一体化されて表現された清々しく透明な世界の広がりのうちに、「なにもしない」「気に入った汚れ」「死んだ後も/青を手放さない」といった、“厳しさ”と“こだわり”を感じさせる自己認識と、第三連の世界認識とが入り込んで、読む者に、感じさせ、思わせ、考えさせる。大場氏の詩の中には、暗示性と多義性に富んだ言葉によって、世界や人間、自己のありようについての、鋭く、視野の広い認識が、魅力的なイメージの展開、跳躍を伴って表現されたものがあり、この詩もその一つである(ほかに、『山形詩人』第45号に発表された「柳」などがある)。こうした作品がこの先も作られ続けるならば、大場氏の詩もまた「日本の現代詩」の中にしっかりと位置づけられるものになるのだろう、と思っている。

  以上、三人の詩人の詩を紹介してこの文章を終えることになるが、それでも、山形における「現代詩」の実りが、決して乏しいものではないことを、感じとってもらうことができたのではないだろうか。

  最後に、どうしてもことわっておかなければならないことがある。それは、筆者の狭い視野の中に入っていて、しかも、筆者がその作品の魅力を理解(実感)することができていると判断されるものでなければ、この文章で取り上げることはできなかった、ということである。言うまでもないことではあるが、すぐれた詩であっても筆者の視野と理解力の範囲の外にあるものは、取り上げることができなかった。また、過去の作品によって全国的な評価がすでに定着していると判断される詩人については、取り上げる対象からあらかじめ外した。ともに、おゆるしいただきたい。
                                                           (平塚 志信)
 


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