五月は、緑が萌え、成長する時節です。トップページに載せた「みどりのために」は、新緑の美しさがモチーフの一つになっています。
そして、次に載せる「五月に」という詩は、急激に繁茂し、放っておけば地上を埋め尽くすかと思われる、緑の「勢い」がモチーフの一つになっています。
とはいえ、どちらの詩も、テーマは、モチーフと別ですが。
さて 、一方、五月は、「五月病」の時期でもあります。
私自身のことを振り返ってみると、大学に入学してしばらくの時間がたち、勉強の仕方も高校時代と同じようなやり方はできなくなり、生活の仕方をどうすればよいのか、わからなくなったような時期がありました。そんな時期に、私を支えてくれたのは、谷川俊太郎氏の詩でした。
谷川氏の詩には、言ってみれば、「生きるということの原点に、人を連れ戻し、立たせる力」があります。例えば、次の詩。
生きているうちにいつのまにか捕らわれてしまう、自分や人間、社会等に対するマイナスの感情や観念を払拭し、生きることに対して前向きな姿勢に戻してくれる力が、谷川氏の詩には、あります。反発するにせよ、受容するにせよ、捕らわれてしまいがちな世間的な価値観、あるいは、メディアや人間関係によっていわば強引に押しつけられる流行の価値観や概念、そういったものを、いったん除去して、自分でものごとの価値や問題点を判断できるところまで戻らせてくれる、そういう力があります。
「えへん わたくしはあるいている 二十世紀の原始時代を」と心の中でつぶやきながら、私は、町中の人混みやキャンパスの中を歩いていました。
大きな、人の多い町で、一人暮らしの学生生活を始めた自分が、主体性を失わないでいるためには、私には、谷川氏の言葉が必要でした。
『六十二のソネット』の詩をはじめとする谷川氏の詩は、大学を卒業するまで、私にとって、いわばバイブルの言葉のような役割をするものでした。
二つの詩を紹介しておきたいと思います。