旧トップページ・2015年6月〈2015年6月8日~7月12日〉



  


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  雨上がり


  降り続いていた雨があがった          
  軒や街路樹の
  あちらこちらで
  しずくがしたたり
  きらめいている

  木々の緑がみずみずしくよみがえり
  空と地との間に交わされ始めた
  大きな呼吸につられて
  私たちもまた
  常よりは深くさわやかに呼吸している
  と感じる
  雨上がりの
  午後のひと時

  歩き出す
  歩道に残る小さな流れや
  水たまりを避けながら
  普段よりも少し身軽になった気のする足取りで   

  交差点に来て
  立ち止まる







  ―あっ
  女の子は見逃さなかった
  その時
  雨に洗われた空をよぎって
  一羽の鳥が飛んだのを
  そして
  その鳥が
  くちばしに一本の枝をくわえていたのを     

  手を引いて
  女の子が
  母親にそのことを知らせた

  雨上がりを待って
  あの鳥は
  作りかけの巣を作りに飛んだのか

  ―それとも
  と私は思う
  ―それとも







  あの鳥は
  まるで
  大洪水のあと
  箱船で待つ人のもとへと
  一本の枝を運んだ鳥のようで

  大洪水も箱船も
  いまはもうとうに
  伝説のかなたへと引いていった
  けれども

  新しい地平に臨みたいと願う者たちは        
  いまでも
  たとえば
  雨上がりの午後の街の街角に
  視線を上げて
  たたずんでいる

  信号が変わって
  歩き出す

  学校が終わったらしい






  子どもたちが
  駆けてくる
  それぞれ
  たたんだ傘を手に持って

  ―なるほど
  と私は思う
  ―なるほど
  と

  駆け去っていく
  子どもたちの
  後ろ姿を見送りながら

  晴れ上がった空の向こうに
  一本の枝をくわえてとんでいったあの鳥―
  あれは
  たしかに
  今日の日の空に燃やされる
  うつくしい夕焼けの約束であるにちがいない   
  と







  花束を抱えて
  女性が
  病院の入り口に入っていった

  花束の飾られた病室の
  窓に近く
  今日の夕方には
  空にひろがった
  うつくしい夕焼けについての会話が            
  交わされるだろうか



                    (久野雅幸)
    


 
  



〔ページトップの写真〕
 向かって左はハルジオン、向かって右はヒメジョオンの写真です。ハルジオンとヒメジョオンは、よく似ているわけですが、開花期が異なっており、山形県内でも(山間部を除いて)、6月に咲いているのは(少なくとも今年の場合は)、ほとんどがヒメジョオンのようです。
 ハルジオンは、開花期がヒメジョオンよりも早く、4月から5月にかけて咲いていました。交代の時期にあたる5月下旬には、日向ではヒメジョオンが咲き、日陰にはハルジオンが咲いている場所もありました。
見分け方は、茎を折ってみて、空洞になっているのがハルジオン、白く詰まっているのがヒメジョオンと判断するのが確実なようですが、これはかわいそうな気がします。葉で区別するのが、気が引けることもなく、いちばん簡単と思います。次に、写真を示します。

  

 向かって左がハルジオンの葉、向かって右がヒメジョオンの葉です。写真のように、ハルジオンの葉は、葉が茎を巻くようにしてついており、ヒメジョオンの葉は、そういうことがありません。この違いによってほぼ確実に区別できるのではないかと思います(間違っていたら、すみません)。
 なお、次に示す二枚の写真は、ともにハルジオンですが、向かって右の写真では、花びらが渦を巻くように開いています。まだ完全に開花していない状態なのかもしれませんが、完全に開花しているようにも見えるので、おもしろく思われました。両方とも、わが家の庭に咲いていたものです。

  

 ハルジオンは、名前に「ハル」が付いているとおりで、「夏を越えない」花と言えるようです。ヒメジョオンとよく似ているがために「惜しまれて見送られる」こともなく「いつのまにか交替している」と思うと、はかなさが感じられます。一方、ヒメジョオンは、夏を越える花(夏の季語になります)ですので、草丈もハルジオンよりずっと高く伸びるようであり、たくましさが感じられます。