詩集『旋回』の「あとがき」
上記の「あとがき」は、私が最初に出版した詩集に付したものです。
「詩のことなど」のページについては、長い間「準備中」にしてきました。詩についての、まとまった考えを述べることにためらいがあったからです。「詩とはこういうものである」と自信をもって述べることができるとは思えませんでした。いまでも、それができるとは思えません。というより、「詩とはどういうものか」という問いに対する答えは、各詩人がそれぞれに探りあて、また、探し続けていくものであるように思います。「いまの私にとって、詩とはこういうものである」とい言うことはできても、「詩とはこういうものである」と結論づけることはできないように思います。もし、それができたとしたら、詩は、基本的にその性質を一にしていくことになり、詩の世界から多様性が失われてしまうことになります。そうなれば、詩の世界は、ひどくつまらないものとなり、きっと衰滅の一途をたどることになってしまうことでしょう。
「いまの私にとって、詩とはどういうものか」と自問するとき、上記の「あとがき」と異なることが言えそうにありません。「不易を求め、流行を追はず」の気持ちは、この「あとがき」を書いたときほど強くはありません。しかし、自分がこれまで書いてきた詩を読み返すと、結局、詩を書いているときの私の気持ちは自然と「不易」を求めているように思われます。「『現代』を主とし『詩』を従とするようなこと」への反発の気持ちも、この「あとがき」を書いたときほど強くはありません。というより、そういうことがあってもよいと、いまでは思っています。しかし、自分でそういう詩を書こうという気持ちには、どうしてもなれません。
たとえ、上記の「あとがき」とは別に、詩についての自分の考えをまとめた文章を、いまあらためて書いたとしても、そこに「あとがき」にない内容が含まれることは(「視点」はともかく「内容」については)ないと思われます。
十五年以上も前に書いた「あとがき」を、いまさらここに掲載するのは、このような理由からです。