詩集を読んで〔2019〕
高階杞一+松下育男
『共詩 空から帽子が降ってくる』(澪標、2019年5月1日発行)
〈 はじめに 〉
本詩集は、筆者にとって、たいへん魅力的な詩集である。筆者は、本詩集のもつ魅力を多くの人に伝えたいと思い、「山形新聞」に、次の書評を載せた。掲載されたのは、2019年6月16日(日)の書評面である。
800字程度という字数制限があり、新聞の一般的な読者が読んで理解できるようにという配慮のもとで書いたこともあって、本詩集のもつ魅力や価値について深く掘り下げた内容を述べることはできていない。
述べることができなかったことを、ここで述べておきたい。
高階杞一と松下育男が「共詩」という作り方で作った詩九篇を収めたのが、本詩集である。
「共詩」は、高階による造語である(高階「あとがき」)。その説明については、上掲の「書評」でも行っているが、次節〈「共詩」という作り方がもつ可能性について〉で、より詳しく行いたい。
「共詩」というこれまで行れたことのない作り方で作られた詩を収めた詩集であるから、本詩集を評価する場合には、少なくとも、次の二つの点での考察が必要となるだろう。
① 「共詩」という作り方がもつ可能性について、どう考えるか。
② 本詩集に収められている九篇の詩を、どう読むか。
この二つの点で筆者が考えたことを、以下に述べたい。
〈 「共詩」という作り方がもつ可能性について 〉
まず、「共詩」という作り方がもつ可能性について、考えたい。
ここで、「共詩」という詩の作り方について、あらためて確認しておきたい。
作り手が交互に詩句を連ねていくということは、「共詩」も連詩と同様である。
異なるのは、「共詩」では、二人で(三人以上の複数人で、ということもありえるだろうが)「全体としてひとつのまとまった詩を作るという意識」(高階「あとがき」)を「強く働かせ」(同前)て作る、ということである。そのため、「連詩のようにそれぞれが書いた箇所に個々の名前を附す」(同前)ことは、しない。実際のところ、本詩集の九篇の詩については、読者が、高階の作った詩句と松下の作った詩句を判別することは不可能である。それどころか、記録(メールでのやりとり)の残っていない詩については、作り手の二人においても、どの部分をどちらが作ったか、「今読み返してみると、それが分からなくなっている」(同前)という。
本詩集の九篇の詩を作るにあたって、具体的には、次のような作り方をしている。
a 何行ずつ書くかといったことは事前に決めず、それぞれがここまでと思ったところで相手に返す。場合によって は、連の途中で作り手が交替することもある。
b 書き出しを担当する者と最後を担当する者は、別にする。最後を担当した者がタイトルを付ける。
c 書き出しは交互に行う。
とはいえ、以上のa ~ cについては、そのときそのときの、いわば「決めよう」であろう。「何行ずつ書くか」を事前に決めて「共詩」を作ることもありえないことではないだろうし、「書き出しを担当する者と最後を担当する者」を同じにして「共詩」を作ることも考えられる。
「共詩」という作り方において本質的に重要なことは「二人で(もしくは、複数人で、筆者)一つの詩を作ろうという意識を強く働かせ」(同前)ることであろう。
このような作り方をすることによって、「詩」にはどういう可能性がもたらされるだろうか。
先に揚げた「書評」の中で、筆者は、次のように述べた。
2人で書くことによって、イメージは、簡単には行き止まる(収まる)ことなく、次々に新しい視点や展開を得て、広がり、深まる。
「共詩」の作り手となる複数の詩人が、それぞれの想像力や認識や感性を交互にはたらかせ合うことで、一人で詩を作っているときには得られない、「広がり」や「深まり」のある表現が現出する可能性がある、ということ。このことは、「共詩」という詩の書き方がもつ可能性としてまず指摘しておくべきことだろう。
2019年7月6日(土)の「山形新聞」に、「谷川俊太郎さんが新詩集」という見出しで、詩集『普通の人々』(スイッチ・パブリッシング)出版にあたっての、谷川へのインタビュー記事が掲載されている(おそらく、共同通信社によって配信されたものだろう)。その中で、谷川の、次の言葉が紹介されている。
「小説だと、ある場面が水平方向に広がっていく。でも、詩はある場面を書き、そこから垂直方向に降りていく」
谷川のこの言葉は、「説明」や「描写」とは異なる言葉の使い方で詩を書こうとしている者であれば、実感として納得されるものであろう。
「共詩」は、「垂直方向に降りていく」その降り方を、“より深く、より多様に、より複雑に”する可能性がある。その点、連詩と比較するならば、連詩の場合は、「全体としてひとつのまとまった詩を作るという意識」が弱い(あるいは、ない)ために、「垂直方向」への“深まり”が得られにくく、語弊を怖れずに言えば、展開が“気ままに”なってしまいがちである、“広がりはしても深まりにくい”ということがあるのではないだろうか。
もう一つ。「共詩」では、、詩句も詩も“個人のものではない”ものとなる。詩はもちろんだが、詩句も、“作り手がだれなのかわからない”ものとなる。ここでも連詩と比較するならば、連詩では、どの詩句をどの詩人が作ったかが明示され、詩句はその作り手である一人の詩人の名前と結びつく。しかし、「共詩」にあっては、そうではない。
「共詩」では、詩を構成するイメージや認識が、一人の詩人による制御から解放され、複数の詩人の意識(「無意識」も含めて)のはたらきの相互作用の産物となる。
こうしたことによって、詩は何を獲得するだろうか?
「共詩は、思いもしなかった路地へ私を導いてくれた」と松下は言う(「あとがき」)。「路地」という言葉は、ここでも象徴的である(上掲「書評」参照)、と筆者は考える。すなわち、「路地」には、“奥行き”があり、そして、“共有性”がある。路地を挟む建物にはそれぞれその所有者がいるが、路地は、多くの場合、だれかある特定の“個人のものではない”。そこを通る者によって、あるいは、そこに行き着いた者によって、共有される場所である。そうした「路地」の共有性にも似た“共有性”を、「共詩」によって作られた詩と詩句は、獲得することになっているのではないだろうか。
例えば、こういうことである。
「サカナの泳ぐ日」では、詩句が、「妻」が奔流となった「川」に飲み込まれ「海」にまで運ばれてしまった、という状況のもとに置かれている。「妻」が「海」に運ばれてしまったことを暗示する詩句は詩の全体に散らばっており、最終連の「ありふれたいつもの川」という言葉は、“あのとき奔流となって人を飲み込んでしまった川”を想定して書かれていると考えられる。
詩が個人の名前によって作られ、詩句が、“作り手に関わるあることがらを「事実」として読者に認識させる”ところから、生み出されるとき、“それは、事実なのか”ということが問われることになる。作り手には正気を失ってしまった妻がいる(いた)、ということを、“「事実」として読者に認識させる”ところで詩句が生み出されるとき、それは「事実」でありませんでした、ということでは、読者が納得するだろうか。“だまされた”という意識をもつことは、避けられないのではないか。そして、その詩句に”意味や価値があるのか”と問われることになるだろう。高村光太郎の『智恵子抄』において、「智恵子」が実は存在しない、仮想された女性であったとき、あるいは、正気を失ってなどいなかったとき、そのことを問題にしない読者がはたしているだろうか。また、「智恵子」が実在しない女性である、正気を失ってなどいないということが、詩・詩句の価値に関わらないですむものだろうか。
一方、「サカナの泳ぐ日」では、前述したような「妻」の状況について、“それは、事実なのか”ということは、問題にならない。詩・詩句が、「共詩」という作り方をすることによって、“個人の経験との結びつきから解放されている”からだ。「共詩」という作り方で作られた詩であることをあらかじめ知らされている読者は、詩句によって表される内容について、それが“作り手にとって「事実」である”ことを求めない。本書の正しい書名は『共詩 空から帽子が降ってくる』と、冒頭に「共詩」という語が付いているが(詩集奥付)、このことは、本詩集の詩がすべて「共詩」として作られたことを示すうえで大きな意味がある。「サカナの泳ぐ日」についても、もしそれがだれか一人(例えば、高階か松下かのどちらか一人)を作り手として作られた詩として示された場合には、“それは、事実なのか”が問われることになる、と筆者は考える。
詩は大きく、“リアリティの根源を「事実」にもつ詩”と“リアリティの根源を「イメージ」にもつ詩”の二つに分かれる、と筆者は考える。前者は、“詩句のリアリティが確保されるためには、詩の「作り手」(=「作者」)と詩中の「話主」が「事実」として一致していることが求められる詩”であり、後者は、“詩句のリアティが確保されるのに、詩中の「話主」と「作者」とが「事実」として一致していることが求められない(「事実」としての一致は問題にならない)詩”である。後者は、“「話主」が「作者」から自立してリアリティが確保されている詩”と言ってもよい。例をあげるならば、宮澤賢治の「永訣の朝」は前者であり、吉野弘の「夕焼け」は後者である。同じ高階杞一の詩でも、「ゆうぴー おうち」は前者であり、「キリンの洗濯」は後者である。吉野の「夕焼け」のリアリティは、「話主」が吉野弘という作者個人の経験から離れた存在であったとしても(極端な話、すべてが吉野によって作られたイメージであったとしても)確保される。高階の「キリンの洗濯」も同様である(「キリンの洗濯」の場合、「話主」である「ぼく」によって語られる内容が作者である高階にとって「事実」であることを求める読者はいないだろう。見方を変えれば、「ぼく」によって語られる内容を「事実」としてではなく「イメージ」として受けとめて、そこにリアリティを感じとることができる者だけが、詩「キリンの洗濯」の読者たりえる)。一方、賢治の「永訣の朝」では、「話主」である「わたくし」が作者である宮澤賢治個人の経験から―誤解を避けるため丁寧に述べるならば、「話主」によって語られる内容の根本(妹の死という出来事)において―離れた存在であった場合、詩のリアリティは確保されない。高階の「ゆうぴー
おうち」も、同様である。
「共詩」という詩の作り方は、その作り方において、作られる詩を“リアリティの根源を「イメージ」にもつ詩”にする。「話主」が、「作者」の経験から自立する。それによって、作者(である複数の詩人)は、自己の経験に縛られることなく、「事実」にこだわることなく、「妻」の死といった、個人の名前によって作られた場合には“それは、事実なのか”と問われずにはすまないことがらについても、イメージとして扱い、そのイメージを広げたり、深めたりすることができる。
先に述べた、「共詩」によって作られた詩の“共有性”とは、「話主」によって語られる内容が、作者個人の経験によって縛られない、ということである。
「共詩」という作り方が詩にもたらす可能性は、このあたりにもありそうである。
〈 本詩集に収められている九篇の詩をどう読むか 〉
本詩集に収められている九篇の詩は、どの詩も「せつない」。そして、「深い」。
「せつなさ」は、どこから生じるのか? 「深さ」は、何によってもたらされるのか? そうした問いに答えることが、本詩集の詩に固有の魅力と価値を明らかにすることにつながるのではないだろうか。
はじめに結論を述べておきたい。本詩集の詩の「せつなさ」は、“「行く」(行こうとする)ことのせつなさ”から生じている、
と言ってよいのではないだろうか。
そう考える根拠を、次に述べたい。
九篇の詩のうち、「指の続く道」と「破れた靴下ながめていると」を除く七篇の詩で、「行く」という言葉が使われている。
「母も姉も恋人もそこの女工だったけど/ぼくはまだ一度も行ったことがない」(「空から帽子が降ってくる」)
「それはまるで切符のように/ひとつひとつに行き先が書かれてあって」(同前)
「町のはずれの郵便局へ/手紙を出しに行くんだった」(同前)
「ほんとうにそう思う?/もうそっちへ行ってもいいの/もう行ってほしいの」(「サカナの泳ぐ日」)
「海へ行く約束を果せなかったから」(同前)
「ひょうたん島はどこへ行く/ボクらを乗せてどこへ行く」(「ひょうたん島はどこへ行く」)
「だからどこへも行けはしなかった/だからサンデー先生のあとばかりついていた」(同前)
「そう、最後のチャンス。これをのがしたら二度とあっちへは行けないよ」(「風の引き出し」)
「座高たかく 椅子にすわって/考えた/どこへ行こう」(「いのち」)
「(竿竹はどこへ行ったのだろう・・・・・・)」(同前)
「あなたは/この町から去って行かれたのでした」(「川沿いの道」)
「そんなところに行ったことがあるはずはないのに」(同前)
「あなたは/いったいどこへ行ったのでしょう」(同前)
「それによって行き先を/決めようか/どこへ行くあてもないけど」(「トマトの女」
)
このように、七篇の詩で「行く」が使われている。そして、どの「行く」にもせつなさが伴っている。
また、「指の続く道」では、「行く」という言葉は使われていないが、「行く」と同類の行為と言える、「歩く」、「たどりつく」という言葉が使われている。
「真昼のまぶしい光の中を/ポストを探して歩く」(「指の続く道」)
「失った人を/もう一度だけつかめるという 指を/売っている店に/ぼくはいつか たどりつけるだろうか」(同前)
このように、「歩く」、「たどりつく」という言葉が使われている。そして、「行く」と同様に、せつなさが伴っている。
「行く」とは、自分と対象との間に距離があるときに、その距離をできるだけ少なくしようとする行為である、と言えるだろう。そして、そこには、「行き先にあるものが、いま、ここにはない」という欠如・欠乏の状態が伴っており、その欠如・欠乏を埋めようとする希求の気持ちが伴っている。
このように考えると、「行く」という行為には、そもそもせつなさが伴っているとも言えるだろう。
「行く」という行為に伴うせつなさが特に強くなる状況がある。「行きたくないのに行かなければならない」状況と「行きたいのに行くことができない」状況である。
本詩集の九篇の詩には、後者の状況が共通に認められる。
第一作「空から帽子が降ってくる」にあるのは、「でかける用事」があるのに「でかける」ことができない状況である。
第二作「サカナの泳ぐ日」にあるのは、「海にいる」「君」のもとへ行きたいが行くことはできない状況である。「君」は、先にも述べたが、奔流となった「川」に飲み込まれ「海」まで運ばれてしまった「妻」である、と読みとることができる。
第三作「ひょうたん島はどこへ行く」にあるのは、「どこへ行く」のかわからない状況であり、「どこへも行けはしなかった」という結末である。
第四作「風の引き出し」にあるのは、「人を愛する」のに「必要」な「訓練」を受けるため「あっち」の世界へ行く必要があったのに、行かなかったせいで、「わたし」と「君」との距離がついに縮まらなくなってしまった状況である。
第五作「いのち」にあるのは、「こんなところでいつまでも遊んでいたって/人生どうにもなりはしない」と考え、「どこへ行こう」と考えながら、考えがまとまらないうちに「海へと引きずり込まれて」しまう状況である。
第六作「指の続く道」にあるのは、「失った人を/もう一度だけつかめるという 指を/売っている店に」たどりつきたいと願いながら、たどりつくことができない状況である。
第七作「破れた靴下ながめていると」にあるのは、「破れた靴下/ながめていると」、行ってみたいけれど行けないところが、次々に表われるという状況である。
第八作「川沿いの道」にあるのは、別れてしまった「わたし」と「あなた」とが、お互いに「逢いたい」と思いながら、その距離を縮めることなく過ごしている状況である。
第九作「トマトの女」にあるのは、「さて今夜の半月は/右向きだろうか 左向きだろうか/それによって行き先を/決めようか/どこへ行くあてもないけれど」と、決まった「行き先」のない、「どこへ行くあてもない」状況である。
このように見てくると、“「行く」ことができない状況のもとで「行く」(行こうとする)ことのせつなさ”が、九篇の詩に共通するせつなさとして浮かび上がってくる。
もちろん、本詩集の詩を読んで感じられる「せつなさ」のすべてが、「行く」(行こうとする)ことからのみ生じているわけではない。しかし、本詩集の詩の「せつなさ」の中心に、“「行く」ことができない状況のもとで「行く」(行こうとする)ことのせつなさ”が位置していると言って誤りにはならないのではないだろうか。
ところで、九篇の詩をそれぞれ読んで気がつくのは、多くの詩に“災害の影”が落ちていることである。
高階は「あとがき」の中で、次のように、東日本大震災に言及している。
八作目の「川沿いの道」を作っている途中で東日本大震災が起きました。(中略)。作品そのものに震災のことは出てきませんが、今読むと、詩に何らかの影を落としているようにも思えます。
作品に落ちている“災害の影”は、「東日本大震災」の影に限らないようだ。
第一作には、「帽子の国との戦争」という言葉がある。
第二作には、上述したように、明らかに水害の影がある。
第三作には、「ひょうたん島」における火山の爆発の影がある。
第四作には、「台風」による災害の影がある。
第五作にも、第六作にも、“災害の影”が認められる。第六作での「失った人」とは、災害時に「つか」んで助け出すことができなかった人であろう、と思われる。
高階は、「あとがき」の最後で、次のように述べている。
共詩は二人の共振によって成り立っています。震災の影だけでなく、それぞれの心の奥底にある共通した思いが(敢えてそれについては書きませんが)作品の端々に影を落としている。今回、全体を読み返し、そうも思えたことでした。
高階があえて書かなかった「心の奥底にある共通した思い」とは、どういうものだろう。もしかしたら、それは、“縮めたくても縮めることのできない距離”を生じさせ、“行きたくても行けない”状況をつくり出す、災害への思いなのではないだろうか。
とはいえ、本詩集の各詩が「深い」のは、災害によってもたらされたつらくせつない状況が裏にあるから、“災害の影”がそこに落ちているから、ということではない。
本詩集の詩の「深さ」は、例えば、「骨の折れた傘や/針金ハンガー/それから雨樋の切れ端が/空の/とんでもないところからぶら下がっています/台風が持ちさったモノと/とり残していったモノが/ようやくわたしの中で/整理されようとしていました」(「風の引き出し」)といった、シュールなイメージと、台風で被災した人の心理を巧みに掬い上げたような認識の言葉とが一つになった表現が読者の気持ちにはたらきかける、そのはたらきかけの深さである。また、例えば、「今/わたしの目には/あなたの背中が映っています/アパートの窓辺に立って/夕焼けで赤く染まっていく町を/じっと眺めていらっしゃるあなたの背中が/映っています/あなたの後ろで/同じ景色を見ているわたしに/あなたは/いつか/気づいてくださるでしょうか」(「川沿いの町」)といった、印象的なイメージが読者の気持ちにはたらきかける、そのはたらきかけの深さである。また、例えば、「つるにつながったいくつもの/月が/下ろされては/収穫されてゆく町/トラックは夜毎 どこか遠くの町へ向かって走り/鋏でつるを切る音が/寝ようとする耳に 大きくひびく」(「トマトの女」)といった、軽妙に夜の静寂をとらえたイメージが読者の気持ちにはたらきかける、そのはたらきかけの深さである。
すなわち、“表現の対象となっている出来事や事態の深刻さ”が、本詩集の詩の「深さ」なのではなく(そういう点での深さも、本詩集の詩は持ち合わせているけれども、本詩集の詩ならではの深さは、そこにあるのではなく)、“表現を構成するイメージや認識が読者の気持ちにはたらきかける、そのはたらきかけの深さ”が、本詩集の詩の「深さ」である、と筆者は考える。
(以上、敬称や敬語表現を省略させていただきました。)