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七月の詩

 七月は、とにかく暑い。
 「猛暑の候」「盛夏の候」は、七月に使われる時候の挨拶。二十四節気の「小暑」は、太陽暦の七月八日ごろ(今年は、七月七日)、「大暑」は、七月二十三日ごろ(今年も、七月二十三日)と、ともに七月中です。
 次の二つの詩は、ともに、“暑さ”がモチーフの一つになっています。「開く」は、「ひらく」と読んでください。


   開く


 日差しのきびしい一日だった

 ―開いているのがせいいっぱいです
 誰もが言った

 開いているだけで
 つとめを果たせるものたちを  
 うらやましい気持ちでながめていた

 駐車場わきの
 金網に
 からまって 咲いている
 昼顔の花


                (久野雅幸)


   咲く


 暑さに顔をしかめていたのは
 朝のうちだった

 日が高くのぼり
 日差しが強くなるのにつれて
 人々の顔から
 しだいに表情が消えていった
 ま昼時をむかえたときにはもう          
 誰も

 昼顔以外の顔を持たなかった

  
                 (久野雅幸)

  「開く」と「咲く」、二篇で一対と考えています。

  夏の日には、太陽の強い光に照らされます。強い光を受けているということが、その光によって作られる影と相まって、夏の日の光景に、独特の、どこかに非現実的なものを感じさせる、広がりと奥行きを与えているように思われます。


   夏の日のま昼時


 道を来た一匹の野良犬が
 不意に立ち止まると
 ひとしきり鼻を鳴らし
 振り向いて
 急ぎ足にもと来た道を引き返していった
 並木道の手前で

   *

 蝶々が一匹
 低く地の上を飛んでいった
 地に落ちる
 それ自体の影と
 それはまるでもつれあい
 戯れあうように
 連れだって

   *

 白い百合の花に来て
 はばたいている
 一匹の黒い蝶々―
 力の弱い生き物たちは
 時にさまざまな擬態をとるというけれども   
 ―あれも一つの擬態である
 とするならば
 


 
 ―あれはきっと影の擬態
 であるのだろうか

 夏の日の強い日ざしが
 ものみなにくっきりと濃い影を与えているときに 
 あれは
 それ自体を濃い影の一つに似せて
 明るい
 夏のま昼の光景に
 そっとその身をひそませて
 飛ぶのだ

 この世界と影の世界とが
 どこかで
 結ばれていると感じる
 夏の日のま昼時―

   * 

 足もとに落ちている私の影が
 むしろ私自身を懸命に
 その足もとにつなぎ止めようとしている
 と感じる

   *
 


 

 
 ぼくは途方に暮れてしまった
 角を曲がって
 まるで開いた窓みたいに
 がらんとした
 夏の日のま昼の通りを前にしたとき
 この世界が
 ぼくたちにとって
 本当は
 ただ単に通り抜けることしかできないものだ
 と気が付いて

   *

 あちらを向いて
 少女は立っていた
 少女は
 その向こうに
 たぶん湧き上がる白い雲を見あげながら    
 背中に
 まるで一匹の蝶々のような
 一個の黒いリボンを結んで
 ―ああ なるほど
 とぼくは思う
 ―この世界と影の世界とが
  あんなところで結ばれている
 と
          (久野雅幸『旋回』所収)

 

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