久野雅幸のページ
                
詩を書くということ


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詩誌を読んで〈2014〉

『表象』第47号(2013年11月3日発行)、第48号(2013年12月8日発行)、第49号(2014年1月4日発行)、
第50号(2014年1月7日発行)
  詩は、近江正人の詩3篇(第47号、第49号、第50号)、尾崎まりえの詩1篇(第48号)を読むことができる。発行人である万里小路譲による、石垣りんの詩の鑑賞が継続している。第47号では、スコット・ウォーカーについてのエッセイ、第50号では庭野富吉の詩「アンモナイト」の鑑賞が、それぞれ、万里小路によって書かれ、掲載されている。
  万里小路が鑑賞を書いている、石垣りんの詩の一つ、「女」という詩を読んで、考えることがあった。
  「女」は、三連からなる。
 第一連「それでもまだ信じていた。/戦いが終わったあとも。/役所を/公団を/銀行を/私たちの国家を。」
 さりげない表現だが、「それでもまだ信じていた。/戦いが終わったあとも。」に、“戦後の日本社会”への期待がこもっていて、大きな内容を蔵していると思う。
 第二連「あくどい家主でも/高利貸でも/詐欺師でも/ない。/おおやけ/というひとつの人格を。」
 皮肉の効いた表現。「役所」「公団」「銀行」「国」が、「あくどい家主」「高利貸」「詐欺師」とどう違うのか、同じではないのか、と考えさせられる。
 第三連「「信じていました」/とひとこといって/立ちあがる。/もういいのです、/私がおろかだったのですから。」
 視点の切り替えのみごとさに感嘆する。女が男に離縁を告げる際の決まり文句を使い、その場面をありありと想起させて、「おほやけ」への幻滅をみごとに表現している。
 このように読むと、住民や住人、生活者、国民へのあるべき配慮に欠ける「おほやけ」の在り方、というより、そもそも「人格」と言えるものを持たない、ということはすなわち、“人間性に欠ける”ということになりがちな、「おほやけ」の在り方を鋭く批判した詩、そして、「人格」を持たないものを「人格」を持つもののように「信じて」いた自身の「おろか」さを省みた詩として、みごとである、と評価することができる。また、そのように評価することに、異論はない。
 しかし、気になる点がある。
 第三連。男にきっぱりと離縁を告げる「女」の姿が想起され、「おほやけ」に対する幻滅の表現としてみごとである、ということは、先にも述べた。しかし、男と「おほやけ」は、違う。一人の男に対しては「もういいのです」と言って、縁を切り、それですませることもできるだろう、一方、「おほやけ」に対しては、“縁を切る”というわけにはいかない。いかに幻滅しても、付き合い続けていくしかない。そして、一人の「女」に幻滅を告げられたところで、「おほやけ」にとってはいたくもかゆくもない。こうしたことに、石垣の思慮が及ばなかったということが考えられるだろうか。
 そうとは、考えにくい。では、そうしたことを承知の上で、第三連を書いたとしたら、それはどういうことだろうか。
 いま私が思いつくことは、三つある。
 一つは、“心の中で縁を切って幻滅を告げる”ことを、一人の女がやったところで、「おおやけ」にとっては、いたくもかゆくもない、しかし、それが、この国の、多くの「女」によってなされた場合には、話が違ってくる、そのときには、「おおきけ」に大きな打撃を与え、「おほやけ」の在り方を変える力ともなる。そのことを、石垣は見据えていたのだ、と解釈することである。このように解釈すると、第三連は、一人の女の態度・自覚の表現にとどまるものではなく、この国の「女」たちへの呼びかけ・訴えかけをも含む表現ということになる。
 もう一つは、第三連を、一人の「女」が「おおやけ」に対してできることの帰結を表現したもの、と解釈することである。
 万里小路は、この詩について、「闘うべき相手がどこにも存在せず、闘う意志が殺がれていく状況を写し取っている」と、とらえている。そして、「信じていた」ことが「偽りであったと判明する。しかし、なす術がない。展開しうる状況はただひとつ<もういいのです>と席を立つことである。しかし、誰/何に向かってそうなしうるのか? <役所・公団・銀行・国>である。しかし、そこにひとはいない。<あくどい家主>も<高利貸>も<詐欺師>もいない。抽象的概念である<おほやけ>こそがそこに巣くっている。それをシステムと言い換えてもよい。システムが被る仕打ちはただひとつ、ひとりのおろなかな女に愛想をつかれることである。」と述べる。
  万里小路は、第三連を、「闘うべき相手がどこにも存在」しない状況の中で、「闘う意志」の対象の不在を自覚した「女」が、「おおやけ」に対してなし得ることを表現したもの、すなわち、一人の「女」が「おおやけ」に対してできることの帰結を表現したもの、ととらえていると考えられる。
  三つめは、男と「おおやけ」との違いにはあえて目をつぶって、きっぱりと男に離縁を告げる「女」の姿を、「おおやけ」に対する幻滅の表現として描こうとした、と解釈することである。このように解釈すると、石垣は、「内容」上の不備には目をつぶって、「表現」としての魅力を優先させたということになる。
  何ともややこしい話になってしまって、恐縮である。
  私が述べたいのは、表現においても、内容においても、ともに魅力的で、かつ不備や矛盾のない作品をつくることの難しさである。
  全体として魅力ある詩なのだが、ある部分に不備があると思われて、せっかくの魅力が損なわれてしまうこと、魅力的な作品世界が、一ヶ所に矛盾があると思われることによって、壊れてしまうこと。そういうことは、詩を読んだり、書いたりしていると、ときに出くわすことである。不備がないか、矛盾がないか、推敲に推敲を重ねる必要があると、自戒を込めて、思う。
  石垣ほどの詩人であっても、魅力的な表現の内に不備を含んでしまうということが、あるいはあったのではないか、と思った次第である。もちろん、それは、“げすの勘ぐり”であるかもしれないけれど。
(以上、敬称や敬語表現を省略させていただきました。)


『きょうは詩人』第25号(2013年9月7日発行)、『きょうは詩人』第26号(2013年12月15日)、
個人通信『萌』No.40(2014 冬の号)
  『きょうは詩人』第25号では、苅田日出美の詩2篇、吉井淑の詩2篇、小柳玲子の詩2篇、長嶋南子の詩2篇、万亀佳子の詩2篇、福間明子、森やすこ、伊藤啓子、鈴木芳子、古谷鏡子の詩各1篇、長嶋南子のエッセイ1篇を、読むことができる。
  『きょうは詩人』第26号では、伊藤啓子、吉井淑、福間明子、小柳玲子、長嶋南子、古谷鏡子の詩各1篇、森やすこの詩2篇、鈴木芳子の詩2篇、万亀佳子の詩2篇、苅田日出美の詩2篇、吉井淑のエッセイ1篇を読むことができる。
  『萌』No.40では、伊藤啓子の詩3篇を読むことができる。
 

  『きょうは詩人』第26号掲載の、小柳玲子の詩「シャラ ト パ」が、特に印象に残った。



    シャラ ト パ
                                                                    小柳 玲子


  ほんのしばらくの間 ここにいます すぐ発ちますので
  住所は書きません よく夢に見る黒い家に似ていましたので
  つい借りてしまった一部屋です
  似ているからといって別にどうってことはありません
  私は消えてしまいそうなものを手早く書き留める仕事を
  生涯 続けてきたので どこにいても同じなんです

  起き抜けに見た夢 これは消えるのが早くて困ります
  「待って」と私は小声で叫ぶのですが 二度と帰ってきません
  私はただ「見た」と書いて終わります

  街ではシャラシャラと鳴る音楽を聴いた日があります
  あれは「中国の不思議な役人」だったかも
  音痴な私の中から曲は逃げやすく もう思い出せません
  シャラ ト パ ラミ ソ

  夜ふけ 黒い家の壁に扉の絵を描いていく人がいます
  扉はごく少し開いていて その細い隙間から
  あっちへ抜けていく人を見かけることがあります
  私が入っていくことのできない扉
  仕方なく 正規の入り口から家に入っていくのですが
  誰もみかけることがありません

  影はまた難しいやからです
  「影送り」の遊びで青空に焼き付いた自分でも
  書くことができない あれらには目鼻がなく
  たちまち見分けがつかなくなります

  月の夜 こうやって歩いていますが
  あの黒い家が無くなっているのが 分かります
  描かれた可笑しな扉だけが月と一緒に歩いています
  夜明けの方へ だんだん薄くなっていきます
  あんな儚いもの 私には書くことができません         


 

  第一連に「黒い家」が出てくるが、これは、第25号に載る、小柳の二つの詩「夢びと」「夜回り」にも、出てくる。
 「夢びと」では、「家が建っている とても黒い 私の家ではない/でも私のようなものがうようよと群れている気配」とあり、「夜回り」では、「月の晩 霧の明けがた とても黒いあの家を見かける/軍服姿の男がこっそりと裏口から出てくるのに出会う」とある。二つの詩からは、「黒い家」が、自己の“意識の枠組み”を示すものなのだろうと想像がつく。二つの詩は、ともに、シュールレアリスム的なイメージのうちに、「なんでもないからっぽのものが好き/からっぽの馬鹿げて無駄なところへいくところ」(「夢びと」)、「家の中では古い古い日の牧師様が イザヤ書を読まれている」(「夜回り」)のように、自己の意識の特徴的なありよう(つまり、“自分らしさ”)を表すことばが明示的、暗示的に示されていて、魅力的である。
  その二つの詩を受けての(と言ってよいと思う)、「シャラ ト パ」である。
  第一連から第三連は、“自分らしさ”の表現として読むことができる。その一方で、第一連の表現は、「私」がいま「夢」の中にあるのか、それともその外にあるのかを、不明確にしている。
  第四連から第六連は、シュールレアリスム的なイメージの魅力が際立っている。安易な解釈をせず、イメージ自体を味わう、想像してそこから感じられるものをもってその“意味”とする、という読み方をするのが基本であろう。解釈は、イメージを十分に味わったあと、“想像してそこから感じられるもの”を受けとめ、それを踏まえて、それと矛盾しないように行わなければならない。最終連3行目のイメージが、なんと魅力的であることか。はかないが暗くはなく、ユーモラスだがさみしい。
  第六連で「あの黒い家が無くなっている」というのは、“意識がその枠組みを失ってしまった状態”として読むことができる。その中にさまざまな意識や無意識を詰めこんで、「私」を「私」として成り立たせていた、まとめあげていた“枠組み”がなくなってしまった状態。そのような状態は、それ自体がシュールレアリスム的である。
  「夜明けの方へ だんだん薄くなっていきます」は、目覚めへと向かっている状態、「夢」の世界から現実の世界へ向かっている状態とも読めるが、意識自体が失われようとしている状態とも読める。その多義性もまた、―文学、美術、音楽を問わず、優れた芸術の多くがそれを、いわば“深み”として、もっているように―大きな魅力の一つである。

  第26号の巻頭に載る、伊藤啓子の詩「秋の幻燈」もまた、特に印象的な作品であった。


    秋の幻燈
                                                      伊藤 啓子


  あの夏の終わりは忙し過ぎて
  最後の蝉がどんなふうに鳴いていったか
  聞き届けることさえしなかった
  幾度か手紙が来ていたが
  返事を出しそびれてしまった
  斜めに積まれた本の上に
  ひと夏分の塵が
  うっすら被っているのを見た

  あの駅の階段はとても疲れる
  一段一段が
  ひどく低くつくられているから
  踏みしめるように昇り降りする
  こんなに低くちゃかえって疲れると
  お年寄りが膝をさすり
  子ども達はぴょんぴょん
  二段跳び三段跳びして叱られる
  ひとびとの流れの中に
  なぜだか旧制中学の服を着た父を見た
  
  すれ違いざまに
  アケビは食ったか イチジクは煮たか
  柿はなったか ザクロ酒はつくったか
  矢継ぎ早に訊いてくる
  そういえばみんな実のなる木ばかりだった
  あの木は全部倒してしまいました
  わたしの棲む森はずいぶん変わってしまいました      
  ホームに立ったまま何も言えずにいると
  若者のような足取りで
  父がさっさと汽車に乗り込んでいくのを見た

  夏の寝不足を取り戻すように
  眠りが深くなった
  寝返りを打とうとしてもからだが動かない
  眠ってばかりいたらいつの間にか
  手足が溶けかかっていた
  





  どこが頭でどこがしっぽなのか分からない
  と言いながら
  男と女が皿の上のわたしを箸でつついている        
  味噌汁を作るのが面倒臭い
  お茶でいいわね
  二人でお茶をすするのを
  箸でつつかれながら冷たい皿の上で見た

  なにも
  そんなに昔のことじゃない
  深い眠りから目覚めたはずだが
  ついうとうとしただけのような気もした
  重いページをひらくように
  次の季節がやってきて
  わたしの棲む小さな森にも
  黒い影が忙しそうに横切っていくのを
  何度か見た

  きっと明日あたり
  金木犀が匂いはじめる
 
  
  
  

  
 
 

  全部で六連からなる、長い詩だが、どの連も味わい深い。
  第一連の、季節感と生活感が不可分に結びついた表現。第二連の、いきなり「あの駅の階段」に目が向けられる、あざやかな視点の変化。そして、そこから始まる、奇妙な現実感を漂わせた第三連までの表現。第四連の、眠りと夢の感覚。そこにも、第三連と共通する“奇妙な感じ”がある。第五連の「重いページをひらくように/次の季節がやってきて/わたしの棲む小さな森にも/黒い影が忙しそうに横切っていくのを/何度か見た」は、とりわけみごとで、味わい深い表現と思う。季節感とともに、「森」の“異界性”も、魅力的な表現でとらえられている。最終連の味わい深さも、大胆な視点の変化を伴って、格別である。
  なお、第25号に掲載されいる伊藤の詩「捨て子」も、たいへん印象的な作品である。「秋の幻燈」とどちらを大きく取り上げるべきか、迷った。題名の「捨て子」は、第四連の表現による。全部で五連からなる詩であるが、第四連と第五連を、次に引く。「帰り支度を察したのか/樹々の揺らぎがおさまり/森が安堵しているように見えた/振り返ってはならない/捨てられるのはいつもわたしたち//帰り道は/肩のあたりがおもくなる」。最終行は、帰り道をたどるさみしさの表現として読むことができるが、「森」から、目に見えない何ものかがついてきているとも読める。ここにも複層的な意味の重なりがあって、味わい深い。

  『きょうは詩人』第25号には、伊藤啓子の詩「捨て子」が載っている。「森」の“異界性”を、「七月」の季節感で包み込んだような作品である。「秋の幻燈」の「森」と、「捨て子」の「森」が、同じ森なのかは、わからない。しかし、“異界性”が共通しており、同じ森、少なくとも“つながった森”として読むことができる。そう読めば、「捨て子」と「秋の幻燈」を、連作として読むことができ、連作として読んだときには、個別に読んだときとは異なる味わいが加わることを、言い添えておきたい。
(以上、敬称や敬語表現を省略させていただきました。)

『山形詩人』第84号(2014年2月20日発行)
  木村迪夫、久野雅幸、近江正人、佐藤伝、高啓、万里小路譲、佐野カオリ、山田豊、菊地隆三、高橋英司による詩、計11篇と、阿部宗一郎の俳句について清水哲男氏がブログ「増殖する俳句歳時記」に載せた文章の引用を、読むことができる。

  木村は、『山形詩人』第80号に載せた詩「眠れ/田んぼよ」の、“もとの詩”を載せている。
  第80号に載せた詩は、読売新聞2009年11月21日「ウィークエンド文化」に掲載された詩の改作であったのだが、今回、第84号には、読売新聞に掲載された詩を転載している。初出時の表現にもどしたわけである。“もとの詩”と言うのは、そういう事情からである。
  次に、全行を引きたい。


 眠れ/田んぼよ/木村迪夫



 村人よ
 この季節
 根の底からの望郷への囁きが聴えぬか
 株と株との切り口の尖端は
 書き残した日の記録の端ばしで
 ぼくら一夏を生きた安堵の吐息が
 ロングストーリーを書き終えた歓喜となって映って見えないか 

 人びとよ
 思いのほか穫れなかったなどと言うなかれ
 影一つない野の原の孤独に耐えながら
 ぼくらの肌は黒褐色で艶っぽく
 疲れも見せず
 〈隠しながら〉
 ふたたびの春への乾ききることのない
 希望のようではないか

 いまは眩ゆい陽の光など差しようもないが
 雪の間近の畦と畦とはいまも緑に被われていて
 不眠の季節に挑んでいる
 田の面を走る水は
 音も無く
 終わりのない村の物語りを
 ふたたび書きつづけるように
 夕ぐれの村と村との遠景への
 しばしの訣別の言葉となって         
 流れ落ちていく

 眠れ
 わが村よ
 人びとよ
 田んぼよ
 地深く 眠れ                     

 
 

  第80号掲載の詩については、当HPに全行を掲載し、私は、次のような感想を述べている(比較のため、第80号掲載の詩を参照してほしい)。
   

   まず、特筆したいのは、この詩の「調べ」である。全体に、生命感の感じられる、生き生きした調べが一貫している。

  “もとの詩”にも、もちろん、“調べ”はある。詩に表現されている時期の実感に根ざした“落ち着いた調べ”があると思う。また、その“調べ”には、農の仕事に取り組む人にふさわしい“力強さ”も感じられる。しかし、“改作”にあって、私が以前に取り上げた「生命感の感じられる、生き生きした調べ」、「生命の躍動を思わせる、『勢い』を伴っ」た、“どんどんとたたみかけていくような調べ”は、この詩にはない。
  「わかりやすい」という点では、今回のもののほうが、わかりやすい。また、“改作”にあった表現の重複がなく、表現として整理されているという印象がある。しかし、その一方で、整理された「表現の重複」は、「調べ」の上では、「ことばの繰り返し」として、「調べ」をつくりあげる大きな要素であった。
  今回、“もとの詩”をあらためて掲載したということは、木村は、“改作”よりも、“もとの詩”のほうがよりよいと判断したのだろう。
  どちらがよい、などということは、私には言えない。というより、正直に言って、私には、どちらがよいのか、判断することができない。しかし、“改作”と“もとの詩”では、根本的な違いがある、と考える。
  “改作”では、「ひと夏」の仕事を終えた「安堵」と「歓喜」が、「ふたたびの春」への思いに直結していて、そうした気持ちが「生命感の感じられる、生き生きした調べ」となって表れ、詩全体を貫いていた(“もとの詩”にはない、最終連における「ふたたびの春の/醒めのために(死ぬなよ)」の2行は、そうしたことの端的な表れとみることができる)。一方、“もとの詩”では、収穫が終わったあとの、「雪の間近」な時期における“休息”の気持ちが中心となっており、最終連で繰り返される「眠れ」のことばに強い実感がこもる。
  “改作”にも、“もとの詩”にも、それぞれに、詩としての魅力がある。繰り返しになるが、“もとの詩”をよりよいとする木村の判断に異論があるわけではない。“もとの詩”の第三連、4~10行目で表現されている「情景」の魅力は、“改作”よりも、よりはっきりと伝わってきて、読みごたえがある。
  以前に紹介した詩が大きく改められたので、紹介者としてそのことを伝える責任があるとも考え、やや詳しく述べた。
 
  さて、今号に掲載の詩の中で、私が最も魅力を感じたのは、佐藤伝の「旅にあれば」である。


  旅にあれば/佐藤 伝



  蜘蛛がしきりと糸をはり
  秋の形が端正な果実になった
  さみしくも懐かしい夕暮れである

  はるか遠くの山なみは
  薄墨色の濃淡で幾つかに重なり
  橙色の灯はやさしく闇に埋もれる

  旅先の夜は静かにゆっくりと更けて
  かなしみ薄くぼやけ かすかにしみを            
  のこして時間を食む

  目覚めると川音に交じり
  屋根を叩く雨のおと
  障子を開ければ向こうの山のうえに
  小さくあおい空が見えている

  山から落ちてくる鮮烈な水は
  露天風呂へ行く廊下の下で白く砕け
  ロビーでは釣り人が昨日の釣果を
  自慢し合っている

  湯にひたり湯にとけて
  雪がふり雪がふき雪がつもり
  冬眠にはいる湯宿をおもう

  ひとり部屋で寝転び錦秋を目で追う
  急に吹いてきた風が秋の盛りの
  木々の葉をいっせいに飛ばした

  テレビも携帯電話も使えぬ
  山峡の深くとおる時間は
  雑踏の中のあのひとを
  つよくおもわずにはいられない
                  

 

  全体に、内容にふさわしい、落ち着いた「語り口」で表現されている。そして、はっきりとイメージを思い浮かばせ、しっかりと情感を伝える、無駄のない、端正なことばづかい。
  そうした表現を通して、旅先の宿でひとり時間を過ごしているときの思い、「さみしくも懐かしい」気持ちにひたる思いが、実感として伝わってくる。「さみしくも懐かしい」ということは、“ひと恋しい”ということにもつながるわけであり、最終連の表現は、強く共感を誘う。
  佐藤の旅の詩は、寂寥感とひと恋しさが、せつなく伝わってきて、魅力的である。『山形詩人』第81号に載る「日々の余白に」もそうであった。
  私は、「大分むぎ焼酎二階堂」のテレビコマーシャルが大好きなのだが、佐藤の旅の詩を読んでいると、あのコマーシャルの、あの郷愁感あふれるナレーションを思い出す。これは、悪い意味でとらないでもらいたいのだが、この詩などは、そのまま、あのコマーシャルで使われ、あのナレーションで語られても、まったくおかしくない、というか、実にふさわしいのではあるまいか(プロデューサーの目にとまらないかな、などと思ってしまう)。

  私は、「風を待つ」という詩を載せたのだが、あらためて読み返すと、あまりにももの足りない詩だ。ここに、改作を掲載したい。題も、「野辺に立つ」と改めたい。


  野辺に立つ/久野雅幸



  光には
  まだ夏の強さが残っているが
  草むらには
  すでに
  秋のすがたがあって

  春には
  逆だった
  春はまず光の中に訪れて
  それから
  野に
  春のすがたが

  光と
  野と
  季節を先に迎えるものが
  いったい
  いつのまに
  逆転したのか

  野には
  それぞれに
  伸び放題の
  秋の草花

  あまりの暑さに
  汗をぬぐったが―

  不意に
  風を待つものたちの気配がする              
  わたしをとりまき
  いたるところで

  その激しさに
  思わず わたしは
  息を止める








  国道ぞいの
  歩道を歩いて
  こんなふうに
  野辺に立つとは

  たそがれ
  と口にするには
  少しだけ早い時刻となって―

  だれかに
  その名を呼ばれたように
  草むらに立つ
  一本のアキノノゲシが
  大きく揺れた

  (ひそかに過ぎた
   ものがある。
   それは、
   その一本の草花に、
   わたしたちが与えた名とは、
   別の名前を与えたもの。
   かつて
   野をはさんですれ違ったもののように、           
   それは、
   すでにくらく、
   ひっそりと。)
  
                  

 

(以上、敬称や敬語表現を省略させていただきました。)


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